いわてTSUNAMIメモリアルを訪れ、感じたこと〜震災から10年、陸前高田の今〜

2021.05.14
2011年3月11日に起きた東日本大震災から、今年でちょうど10年が経った。
この10年間で、全国の被災地や日本全体でも、町やそこに住む人に多くの変化があったのだと思う。
陸前高田もそのひとつ。

今回は、震災や津波の被害を伝える、東日本大震災津波伝承館「いわてTSUNAMIメモリアル」を訪れた。

東日本大震災津波伝承館「いわてTSUNAMIメモリアル」とは

いわてTSUNAMIメモリアルは、世界中の人々に向け、東日本大震災津波の事実と教訓を伝えていくとともに、自然災害に強い社会を一緒に実現することを目的とした施設。
2019年9月22日、高田松原津波復興祈念公園内にて開館。
展示テーマは、「いのちを守り、海と大地と共にいきる」。
館内のコーナーでは、被災した実際の物、被災当時の写真、被災者の声、津波災害の歴史などを見て聞いて、学ぶことができる。
入館料は無料。

参考:東日本大震災津波伝承館「いわてTSUNAMIメモリアル」公式HP


人が乗っていた車が流される恐ろしさ

展示物のなかでも、津波が町を襲う映像が印象的だった。
当時のニュース番組や、10年経った現在の特集などで流される映像もあるが、ここの展示では、テレビでは流れない、見ていることが本当に辛くなるような編集されていない事実も流れる。
人が乗っていて今まで走っていた車が、波に呑まれてしまう瞬間は、とても恐ろしく感じた。
津波が防波堤を超えて町に上がってくるスピードはとても速く、本当に1秒後には何が起こるかわからないのだと感じた。
走っている車は数台いたが、曲がる道が違うだけで生死が分かれてしまう。
自分がこの状況に遭遇したらどうするのだろう、と考えても、どうしたら良いのかわからないと感じてしまった。

被災の前後で変わった町の色

被災した後の町と被災する前の町を、航空写真で撮影した展示コーナーがあった。
被災する前の写真の色は、建物のグレーや、畑や田んぼなど自然の緑色が多かったが、被災した後の写真は、一面が土の色になっていた。
津波によって家や施設だけではなく、豊かだった自然もたくさん流れてしまったのだ。
長い年月をかけてたくさんの人たちと協力してつくられてきた町が、一瞬でなくなってしまう恐ろしさがすごく伝わってくる写真だった。
また、町が変化し続けていることがわかる、現在の写真も展示されていた。
被災してから今までの10年間、陸前高田では、道が整備され、道の駅のリニューアルや、大型商業施設「アバッセたかた」がオープンするなど、多くの人の努力で町がつくられてきている。

さいごに

東日本大震災により、町や人が経験したことを、多くの人の心に残ってしていくことは本当に大事だと感じた。
辛い気持ちになり、すぐに前向きな考えができなくても、そこで生まれた感情を大切にしたいと思った。
そして、人に話し、人の意見を聞くなかで、自分たちの生活と震災津波との関わり方を見つけていければいいなと思った。
当時を知る人も知らない人も、一度東日本大震災に触れる機会があって、継承していける人が増えれば嬉しいなと感じた。

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